白樺きのこ園はアンチエイジングに役に立つチャーガ(カバノアナタケ)茶の専門店

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チャーガの歴史
《古代》
5,000年前の古代人の化石の腰布からなんとチャーガが発見されました。かなり古くからチャーガが健康維持に使用されたことになります。
  • 5000年前の男1991年、オーストラリアとイタリアの国境近く、標高3210メートルの地点で、凍結したミイラが完全な形で発見された。
    紀元前3300年頃のの男性で、携帯品や服の断片からも興味深い事実が明らかになった。
    発見地点はオーストリアとイタリアの国境近くで、標高3210メートル。(エッツタール・アルプス) ミイラの頭に傷があったりしたので、当時は犯罪の線も調べられたが、すぐに何千年も前の遺体と判明し、考古学の恰好の研究対象となった。
  • ミイラシラカバのキノコを削って作ったもの。中央に穴があいており、そこに革紐が通っている。
    表面のあちこちにしわがある。水分をたっぷり含んだ状態では、淡い灰色ないし濃い灰色に見え、ところどころに黒っぽい斑点がある。堅牢なことから、材質はコルクないし革が考えられる。
    《携行していた健康食品?》腰のチャーガ
    キノコの真ん中に紐が通っているようなものが二つ、法医学研究所長ヘン教授による遺体収容時に収集された。これが写っている最初の写真は、飛行技師ゲーヴォルフが「池」の横に積まれた遺物の山を写した中にある。
  • だから遺体の主がこれを携帯していたことは確かなのだが、体のどの部分に携帯していたか、正確なところは分っていない。しかし、なかに紐が通っているところからすれば、衣服かベルト、あるいは手首などに結わえていたと考えられる。
  • いわゆる民間で伝えられた方法は、すでに先史時代にその起源を持っているものであり、以来何世代にもわたってそのやりかたが伝えられてきたのである。

     …とすれば彼は旅に一種の健康食品を携行していたと考えられなくもない。
《紀元1世紀》
ギリシアの医者ディオスコリデスがすでににこのキノコについて説いている。11世紀の聖ヒルデガルト・フォン・ビンゲンは、樹木のキノコを6種挙げていた。
  • ヒルデガルトシラカバのキノコが一種の抗生物質を含んでいることは、よく知られている。ポリポール酸Cという成分だ。この酸はミコバクテリウムに効果が強い。

    ギリシアの医者ディオスコリデスがすでに紀元一世紀に、このキノコが体に有用であると説いているし、聖ヒルデガルトは11世紀に樹木のキノコを6種挙げていた事実がある。

    まず乾かし、細かくひいて、熱湯を注ぐ。こうして何世紀もの間飲まれてきたと言う。また聖書の外典には、シラカバのキノコに幻覚的な効果があると記されているが、これは証明されてはいない。







《中世》
16世紀のロシア帝国ロマノフ皇帝も飲んでいたらしい。
アイヌの人たちはチャーガをタドンの代わりにして火をくべて、火種用に使っていたと言われていましたし、実際に飲んでいたらしい。かなりの貴重品扱いをされた。

《近代》
ロシアのマースレニコフ医師がロシアのある地域に病気が少ない健康な人が多いという事で、研究を始めた。
  • チャーガの研究に一生を捧げたマースレニコフマースレニコフは1884年生まれ。1908年にモスクワ大学医学部卒業後アレクサンドルの病院に赴任する。当時は田舎の村の病院といった方が適切な環境だったのではないかと推測できる。

    大学を卒業したての若いマースレニコフは写真が好きでカメラを手に美しい自然を撮影するのが好きだった。また、狩猟も好きで、よく森に出かけていた。 マースレニコフがここで研究したモスクワ大学

    ある時、狩猟の途中立ち寄った小屋で森番からチャーガのお茶をごちそうになりながらの雑談の中で、このお茶は昔から体に良いと伝えられていることを聞き、とても興味を持つ。
    「この地方で病人が少ないのはもしかしたらこのチャーガか! 」というマースレニコフの発想がここから膨らんでいくのである。

    この地でチャーガに出会いマースレニコフ医師は、チャーガを使い研究にのめりこんでいった。

    さまざまなチャーガ有用性を明らかにし、それらをまとめた論文を学術誌に発表した。その反響は大きく、1920年から1930年代にかけて、ソ連の一部にチャーガブームが起こったという。各地の人々から飲用相談の手紙が寄せられ、また、チャーガを自分でも使ってみたいという医師の相談にもマースレニコフ医師は丁寧に応じ、チャーガは少しずつ目立つ存在になっていった。

  • ソルジェニーツィンもそういうブームのなかで、相談の手紙を出したのである。
    チャーガがあまりにも大きな存在になり、しかもそれがいつまでも続いたことから一時ソ連行政機関からの圧力がかかって活動が圧迫されたりもした。しかし、後にはモスクワ市に70床のクリニックを提供され、マースレニコフ博士はそこを拠点に研究活動をつづけた。
    マースレニコフは、ロシアの大自然と人々の日常生活に愛情のこもった眼差しを注ぎつづけたカメラ好きの博士の姿がそこにはあった。

    マースレニコフ記念館には、マースレニコフ博士の指導でチャーガで研究をおこなった人々の膨大なカルテも保存されており、手紙で飲用指導を受けた人々からの報告文書もあった。そのなかには、チャーガをよく飲んだソルジェニーツィンが、マースレニコフ博士に送った直筆の礼状もあったのである。機能性食品ベスト15

    マースレニコフ博士の研究したチャーガは、1956年になってソビエト保健省から承認されることになったのだが、それはレニングラード第一医科大学でのチャーガ研究で基礎医学的に解明されはじめた時期と重なり合うのである。
  • *残念ながら、マースレニコフ博士の書籍は日本には見当たらないが、彼のことを少々伝えているのはこの本だ。





ソルジェニツィン自身の説明によれば、この作品は正確な時と所のデータをそなえたポリフォニック(多位性)な、主人公のいない長篇であり、「所」はウズベク共和国の首都タシケント市の総合病院のガン病棟(ソルジェニツィン自身が追放生活中にこの病院で腫瘍を治療してもらったという)。
  • 《ガン病棟 第一部》 【白樺の癌】
    ノーベル賞作家ソルジェニーツェン 「最初から順序立てて言うと、こうなんだ、シャラフ。

    マースレニコフ博士のことは、さっき言った外来患者が教えてくれた。つまり博士はモスクワ郊外のアレクサンドロフ郡の田舎医者で、もう何十年も同じ病院に勤めている。以前はそういうことが認められていたらしいね。

    で、博士は一つの事実に気がついた。

    私はここにいる!忘れてはいけない!)
    「……博士は調査を始めた。調査を始めた」コストグロートフは同じ言葉を繰返した。ふだんは決してそんな癖はないのだが、今は繰返すことが楽しそうだった。「そして、こういうことを発見した。

    すなわち、そのあたり一帯の百姓たちは、お茶代を節約するために、茶ではなくてチャーガというものを煎じて飲んでいる。それは白樺の茸とも言われて……」

    チャーガはロシアのノーベル賞作家ソルジェニーツィンが広めた「ヤマイグチ(マツタケ目アミタケ科、白樺林な発生する食用茸)のことか」と、ポドゥエフが口を挟んだ。ここ数日、絶望感にひたりきっていたエフレムにも、これほどありふれた、これほど手に入りやすいものはたいそう魅力的だった。

    ここの患者たちは南国人が多かったので、ヤマイグチはむろんのこと、白樺そのものさえ一度も見たことがなく、したがってコストグロートフの言っているものを思い浮かべることはむずかしかったようである。

    「いや、ヤマイグチじゃないんだ、エフレム。正確に言うと、これは白樺の茸じゃなくて、白樺の癌なんだ。ほら、古い白樺の木によくあるだろう……妙な格好の瘤のような、表面が黒くて、内側は暗褐色の……」

    「サルノコシカケか」エフレムが言った。「昔は火口がわりに使ったっけ」
    「そう、たぶんそれだろう。マースレニコフ先生はふと気がついた。ロシアの百姓は自分たちはそれと気づかずに、そのチャーガでもって何世紀ものあいだ救われていたのではなかろうか、とね」

    「使用法を、それじゃ読み上げるから、みんな書きとってくれないか」と、コストグロートフは大声で言った。一同はざわめき、お互いに鉛筆や紙切れを融通し合った。パーヴェル・ニコラーエヴィチは何も持っていなかったので、(自宅に帰れば、ペン先が軸の中に隠れる新式の万年筆があるのだが!)ジョームカが鉛筆を貸してやった。

    シブガートフも、フェデラウも、エフレムも、筆記の準備をした。準備ができたので、コストグロートフはゆっくりと手紙の文面を読みあげ始めた。
    生乾きのチャーガをどうやって擂りおろすか、何度ぐらいのお湯で煎じるか、どうやって濾すか、何杯ぐらい飲むか、等々…




《近代の研究》
1950年代のはじめからロシアでは専門的なチャーガ研究が始まる。

  • 1951/ソ連邦科学アカデミー・カマロフ記念植物学研究所
    1970/スハーノフ
    1972/カローヴィン
    1972/ドスイチョーフとブイストローヴァ
    1990/トムスク国立大学
    1990/ガパネンコ
    1996/パシンスキー 
    1996/ブルチク
    1997/ロシア科学アカデミー微生物科学・生理学研究所
    1998/ルズモフスカ
    2000/ペレゴンツェーヴァ
    2000/ベラルーシ国立科学アカデミー微生物学研究所
    2001/アイナベコーヴァ



日本でも、各大学や機関で研究が始まる。


  • 1995/国立予防衛生研究所
    1996/静岡大学故水野卓名誉教授グループ
    1996/北海道立衛生研究所
    1999/北海道公衆衛生学会
    2000/北海道大学農学部申博士
    2001/日本薬学会
    2001/日本農芸化学会
    2002/広島大学医学部総合薬学科
    2002/日本栄養・食糧学会
    2003/日本薬学会
    2003/日本木材学会北海道支部

    北海道でも以前はチャーガが採れていたために、15年ほど前から静かなブームが始まる。
    現在の日本ではほとんど採取できなくなっているために、ロシアから輸入が始まる。





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